渋谷3号線の時間軸 2

storys

「疲れたでしょ、ちょっと休憩しようか」

彼は手に持っていた缶コーヒーを渡しながら言ってくれた。

「あ、ありがとうございます」

「ほい」

彼と出会ったのは、職場だった。

ひとつ上ということもあり、距離が近く何でも聞けるし話せる存在。

一年前、私はこの会社に入社した。

半蔵門という、都会の喧騒から離れた場所に会社はあった。

目の前には皇居があり、緑も多いが、実家の近所とはまるで雰囲気が違う。

オフィスもキレイだし、
先輩も素敵なひとが多い。

横を見ると、いわゆる億ションが建っている。

田舎から出てきたばかりの私には、
すこしだけ緊張感があった。

そんな新卒特有の不安丸出しの私に
いち早く気づいてくれたのも彼だった。

ーーー

「今日、早く終わったら、ごはんでも行こうか」

「行きましょう!」

もう丸1年、彼と仕事をしている。

少しパーマがかったミディアムヘア。

ほのかに甘さのある香水が、存在感を出していた。

彼との間にあった壁を取り除けたのは、同じ歌手が好きという共通点。

よくある話。

東京に来てからそういう話ができたのは、彼が初めてだった。

心を開くとあっという間で、

そこから仕事の話や、近所の美味しいお店の話。
いろんな話をするようになった。

いろんなことに興味があって、
いろんなことに思いを馳せていて、

私が考えないようなことに思考を巡らせている。

前に、仕事終わりに一緒に歩いている時

「高いビルの上でテンポよく赤いランプが光るじゃん?学生時代からあれ見るのが好きでさ。
そこから、都会が好きになったんだよね」

そんなことを言っていた。

理解できなかったけど少しだけ、

素敵だな、とは思った。

なんでですか?とは聞かなかった。
そんなこと聞いたところで、彼のことを喜ばせられない。

だから、理解したいと思った。

口出しはしない。

尊敬していたし
心底落ち着ける存在。

そんな人だった。

ただ、
これは恋ではない。

なんでも親しく話せる、兄のような存在ということだ。

ーーー

「今どこ住んでるんだっけ?」

「渋谷です」

仕事を早く終わらせて、足早に会社を出た。

2月ももう終わりに近づいていて、
南風がジンチョウゲの匂いを運んでいた。

街全体が色づき出しているような、そんな雰囲気を醸し出している

「へぇ、なんで渋谷?」

言えない。

まさか、以前あなたが言ったことに影響を受けたなんてことは
言えなかった。

「地下鉄で10分くらいなので…」

「ふーん、すっかり都会っ子だな。
髪も染めて、おしゃれじゃん。似合ってるよ」

「え!ありがとうございます」

こういうところがさすがだなと思う。
誰にも気づかれなかったのに、彼だけは気づいてくれた。

ごはんは鉄板焼きのお店に行き、他愛もない話を楽しんだ。

彼は、タバコを吸う。

「吸わないほうがいいよ」
と言われたけど、自分にないものに興味を持つのが人間です、と思い、

半年くらい前から、私もタバコを吸うようになった。

はじめて煙が体に入ったとき、
苦しかったけど、新しいことにチャレンジできた高揚感で強く興奮したことを覚えている。

彼からは、多くの経験をさせてもらった。

短いほうが似合う、と言われ、
髪を切ったことがある。

服装について相談した時も、いろんなアドバイスをくれた。
それに関しては、私の好みとはなんか違う気がしたけど、彼のアドバイスを取り入れてみた。

遊びに行く場所も、
家から出なかった私が今は話題のスポットに興味を持つようになっている。

なくてはならない人。

ただ、

これは恋ではない。

他愛もない話をし、ごはんを終えて、それぞれ帰路につく。

部屋に帰ると、
首都高からはいつもと同じように騒音が響いている。

窓を開け、
通過していくタイヤと地面の摩擦音を聞きながら、タバコを吸う。

体に悪いものを全身に受けながら、
充実していることに気づいた。

変わらず流れ続けるテールランプを見て

このまま、同じ時間が続くと思っていた。

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